就活の時自己分析がうまくできなかったこと/今思うこと。

自己分析 就活

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就職活動に必須の自己分析。今の就職活動って必然的に何社もエントリーを出して志望動機書いて自己PRしてを繰り返すことになるんだと思います。私の時もそうでした。

就活の時に自己分析は重要って言われるけど、うまくできなかった、もしくは現在進行形でうまくできていない人いますか?

私はできませんでした。特段そのことに対しては後悔などはしていませんが、どうしてあの時は自己分析がうまくできなかったのか、今思うことを書きます。

 

自己分析ができない・難しい理由

何だよ自己分析って。自分のことはよく知ってるよ。って思いながら書いてみると思いの外かけない。

初めはだいたいギュギュッと10文字くらいに納まっちゃいますよね。「慎重だけどたまに大胆」とか。

 

そもそも自己分析がうまくできないのって、今まで本気で自分自身と相対して自分はどんな人物なのかを考えたことがなかったとか、自分の内面をアウトプットすることが苦手。そして見栄を張っている。

  1. 自分の内面に向き合ってこなかった
  2. 内面のアウトプットができない
  3. 見栄を貼っている

そんな理由だと思います。

就職活動期でうまく自己分析がかけないって人。変なことじゃないと思う。一定数いるからそういう人。自分含め。

 

自分の内面に向き合ってこなかった

自分の内面に向き合うことって就職活動期を迎える20そこそこの年齢までに、一体何回くらいあったでしょうか。

ないよね。実際。そんなにない。多分受験の時に自分がどんな道に進みたいか、何を学びたいか。そのくらいでしょう。

 

もちろんこの時点で自分が何が好きで、どういう道を進みたいのか、適性はあるのかなんて考える人もいると思います。

しかしながらほとんどの人は言われるがままに勉強をして、偏差値がどのくらいだし、もうしばらく選択を先延ばしにしたいからとりあえず普通科で。みたいな感じじゃないでしょうか。

専門性のある学科に進んだ人にしても、この道で一生生きていくんだ、というところまで考えない人がほとんどなのでしょうか。

それが悪いとは思いません。

 

今自己分析が必要なのにできない人。それは仕方がないことです。

ただ罪悪感にかられる必要はないと思います。諦めず今できる自己分析をするだけです。

いつかできるタイミングが来ます。それは今じゃなくても決して遅くありません。

 

内面のアウトプットができない

自分のことは自分が一番知っている。そう思いますよね。

それって間違っていないと思うんです。しかし、どうして自己分析ができないのか。

それはアウトプットができないから。

思っていることや考えていること、これ書き出すのって結構大変。

今私はこのブログを書いていますが、今でこそなんとなくダラダラツラツラと書き出すことができるようになりましたが、やってみると意外と大変でした。

 

アウトプットする必要あるのかって?うちに秘めたままじゃダメなのかって?

ダメでしょうね。アウトプットして書き出すくらいできないと、相手に伝わらない。自分自身にも伝わらない。自分で確信が持てない。

 

アウトプットして自分で確認できるから意味があるんです。自己分析も結論を自分の中に秘めているだけだと明日には分析結果変わってしまいますよ。

書いて、なんか違うなと思ったらリライトして。一番近いなと思うものを見つける。これ大事。

 

見栄を張っている

見栄って怖いですよね。自分自身を他人によく見せたいがために、自己を曇らせる。

誰にどうして見栄を張る必要があるんでしょうか。

 

自己分析をしているあなたは今、自分の道を見つけたいんですよね。

見栄で行先を決めてそこを一生歩んでいくんでしょうか。それはきっと茨の道だし、無味乾燥な面白くないものになりますよ。

自己分析に見栄はいらない。

 

普段の生活の中とかでたまにとかならいいと思いますがね。

 

 

自己分析に今思うこと

自己分析なんて必要ない。そう思っていたことが私にもありました。わかっているよ、と。

それか後々やっぱ必要だと感じてちょっと本読んで、無理くり「これが自分なんだ」と結論づけたんだっけな。

まぁあんまり覚えていないです。

 

今、特に誰にも求められているわけではないんですが、自己分析のようなものやってみました。

というより、これからも生きていく上で、どんな人生がいいのか。どうしていきたいのか。そんなことを考えたんですよね。本当ふわっと。

 

以前、自己分析をした頃から思えば何年も経ちましたが、なんとなく今の結論が見えました。

それは、自己分析ができずに就職して、働いて、生活して。結婚もして。色々あったわけです。

周りの人たちは疎遠になったり、新しく出会いがあったり、十人十色の人生を垣間見ました。

そこで自分はなんなんだろう、どうしていきたいんだろう。ってその都度思ったり感じるわけです。

 

自己分析はある種の諦め

自己分析はある種の諦めのようにも思います。自分はこんな人間で、と考える過程で「こんな」の他を削ぎ落とさないといけない。取捨選択。

こうだと結論づけると、「こう」以外は自分から離れていくわけですよね。

結構これがきついんですよね。今はそうでもないけど。

自分の未来の選択肢が一つ減るようでちょっとズキっとくる。今は特になんとも思わないんですが。

 

 

時間をかければ見えてくることもある。自己分析もそうだと思います。

わかっているようでわからない自分。それは今までのいきて来た過程でそういう機会に恵まれなかったのか、自分が避けて来たのか。

今自己分析ができなくて悩んでいる人がこの記事を読んでくれたのなら、焦る必要も罪悪感を持つ必要もないということを改めて言いたい。今やれるだけの分析をするだけ。

いつか自己分析ができて、あの時のギリギリの分析は正解だったと思うならそのままで。あの時のはやはりちょっと違っていたと思えば別の方向へ進めばいいだけ。

 

つらつらと考えたことを書きなぐってみた今回の記事。最後まで読んでくれた人ありがとう。

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